2015年04月19日

鎌倉ゆかりの『キリシタン』そして『水戸黄門』

セカンドテノールの時代劇馬鹿の鎌倉太郎です。

昨日、WAFNAの練習がありました。
団長のブログにもありましたように今年のWAFNAは各ステージごとにチーム分けをして曲の研究をしています。昨日は午前中、各チームごとに勉強会を開きました。その模様は追ってどなたかから投稿があるかもしれません。
私は根っからの『時代劇ファン』を自認しており今回『時代劇チーム』のリーダーでもあります。
ローソクさんのブログ『水戸黄門を訪ねて』にあるようにチームの皆さん大変熱心で造詣が深く、私もウカウカあぐらをかいてはいられません。そんなことで4月入り地元鎌倉にある今年の演奏会ゆかりの地を訪ねてみました。

北鎌倉の時宗のお寺『光照寺』です。

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ここの山門に『クルス紋』が刻まれています。

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江戸時代に実は鎌倉一帯にキリスト経を信じる人々がいたそうです。寺には隠れキリシタンを受け入れていた伝承があり、本堂には隠れキリシタンの燭台が2基あるそうです。『隠れキリシタン』というと、私は今回歌う『御誦(おらしょ)』の舞台でもある九州長崎平戸が先ず頭に浮かびますが何と地元鎌倉にも『隠れキリシタン』とご縁のあるお寺があったことに感慨深い思いをいたしました。この思いを胸に『御誦(おらしょ)』の練習に励みたいと思います。

そして、南下して扇ガ谷の尼寺『英勝寺』を訪ねました。
侘助椿がもう季節は終わっていますが、けなげに咲いていました。

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このお寺、水戸黄門と大変ゆかりがあるのです!

お寺を開いた英勝院尼は室町時代の武将で最初に江戸城を作ったことで有名な太田道灌の子孫で、水戸黄門の父で水戸初代藩主徳川頼房の養い親であるのです。三代将軍徳川家光より太田道灌がかつて住んでいた扇ガ谷の地に寺を開くことを許され、以後水戸家の姫君が代々の住職を務め『水戸御殿』とも呼ばれていたそうです。

ローソクさんの記事にもあるように水戸黄門が全国を漫遊したという話は後世の作り話で、実際には鎌倉・藤沢あたりに行っただけのようです。1674年5月2日、水戸黄門(64歳)は旅にでました。房総半島から船で金沢八景のあたりに渡り、鎌倉に入った光圀一行は(残念ながら助さん・格さん・八兵衛・風車の弥七は随行していなかったでしょう)ここ英勝寺に到着。以後ここを拠点に5月8日に鎌倉を去るまでに光圀および家臣が訪れた史跡の数は180か所におよぶと光圀著書の『鎌倉日記』には記載されています。

境内に咲く麗しい山吹です。

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『七重八重花は咲けども山吹の 実のひとつだになきぞ悲しき』

太田道灌ゆかりの和歌がしのばれます。

これから新緑の季節です。
楽譜を片手に散策して、歌のイメージ作りを愚かなる時代劇馬鹿はこれからも愚かにしていきまーす(笑)

最後に妙本寺にしっとりと咲く美しい海棠でお別れします。またの出会いを楽しみにm(__)m

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2015年04月08日

水戸黄門を訪ねて(part.2)

こんばんは、ベースのローソクです。
前回の投稿の続きです。
http://chorwafna.seesaa.net/article/416456527.html

勿来の関を後にした私は、続いて常陸太田市にある「西山荘」を訪れました。


西山荘とは、水戸黄門こと徳川光圀が家督を譲った後、
亡くなるまでの10年間を過ごした地で、「西山御殿」とも言われています。

御殿…と名付けられていますが、
華美を嫌い、質素な生活を心がけていたようです。
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徳川光圀が暮らしていた…にしては、質素ですよね。

また、光圀の暮らす居間と家来の控える部屋には、
壁等の敷居がなかったそうです。
「士農工商」の垣根をなくして、話ができるように…との意向とか??


ここ西山荘では、一領民として田んぼを耕し汗を流すとともに、
以前より進めていた「大日本史」の編纂を行っていたようです。
また、水戸黄門で猛々しいイメージのある助さん・角さんも、
実は編纂に加わっていたというから驚きです。

こんな感じで、日々机に向かっていたのでしょうか?DSCN2963.JPG


…ここまで書くと、徳川光圀が名君のようにしか見えませんが、
前述の大日本史の編纂により、藩主時代の後期にはすでに財政が苦しく、
逃亡する農民も多かったようです。
水戸黄門の世界では、農民の苦しんでいる話を聞き、悪代官を懲らしめる…
というイメージがあるだけに、皮肉です。

また、大日本史の編纂を通じ、後の「水戸学」の隆盛に寄与することとなりますが、
水戸学が必要以上に祭り上げられたことにより、
幕末の桜田門外の変や天狗党の乱といった、水戸の若者の暴走へつながっていきます…


話がそれました。
前投稿でも触れましたが、徳川光圀が全国を廻り歩いたというのは、
あくまで時代劇の世界であり、史実とは異なります。

しかし、この偉大なるデマはなぜ生まれたのでしょうか?
一つには、徳川光圀が「名君」として広く伝えられていたことに、
他ならないと考えております。
やはり名君=人気があるということですから。

また、もう一つの面として、大日本史の編纂が挙げられます。
日本全国へ資料集めのため、学者を派遣したといいますから、
それがいつの間にかすり替わったのでしょう。


最後にアップしたのは、西山荘にある「観月山」からの景色です。
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ここで、観月の宴を催し、家臣の編纂の労をねぎらったそうです。

ここでこの景色を見つつ酒を酌み交わしながら、
実際には体験したことのない、町民や農民の暮らしに思いを馳せたのかもしれませんね。

そんな、他愛のない話が、
巡り巡って時代劇のルーツになったのでしょうか??

これで、私の水戸黄門リサーチを一旦終わります。
機会があったら、家からも近い「徳川神社」や「徳川ミュージアム」に足を運び、
また皆様にご報告したいと思います!
ラベル:ろーそく
posted by chorwafna at 20:11| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月01日

シベリウスとお花見

お久しぶりです。トップのマリちゃんです。

 さて、今年度の曲目も決まり、練習がスタートしたことは既にお知らせさせて頂いておりますが、今年の新たな取り組みとして「歌う曲をよく調べてみよう」ということになり、私もシベリウスを担当することになりました。私の最も身近な外野からは、「ヴァフナという集団はなんと真面目なのでしょうね。」と、呆れた?とも、ため息?ともつかない褒め言葉を頂きました。

 その真面目なメンバーはCDの解説やフィンランド語についての調査資料を集めてくれているので、自分もシベリウスの生涯でも読んでみようと検索をしてみました。早速、パソコンで「シベリウス 生涯」と入れてみると、国会図書館の蔵書に面白そうな本があることがわかり、人生初めて国会図書館という所を訪ねてみました。普通の図書館と違って、本を読む所というよりも資料を探す所でした。ほとんどが閉架式で、パソコンで検索してから申し込み、本を受け取っても持ち出しは禁止で、必要な部分はお金を出してコピーしてもらうところは、薬局で薬の順番待ちの様な感じでした。ページ数が多いと、結構お金もかかるので、国会図書館はコピー屋さんとしても収益が上がっているのでは??
 家に帰ってから、コピーした資料を読んでみると、フィンランドがスウェーデンやロシアに挟まれた難しい環境にあったことや、民族の独立へ機運が高まる時代にあって、元々はスウェーデン語を喋っていたシベリウス自身が、フィンランド語やフィンランドの自然、さらには愛国的な感情を音楽に向けていたことが理解できました。また、混声や女声ではなく、多くの無伴奏の男声合唱曲を残しているのですが、その力強さは、そうした背景を表現しているのかもしれませんね。
 資料を読んで少し疲れたので、平日にゆっくり静かな公園を歩いてお花見をしました。青空のポカポカ陽気で満開の桜を堪能したのですが、何とも言えない桜の花の美しさに見とれていると、何となくシベリウスの男声合唱曲の響きが頭の中に流れてきました。シベリウスの曲って、「自然の中に溶け込む歌のなんだ!!」と感じました。公園の中でも、緑の中にその美しさを表していた1本の桜(写真)を見ながら、何としても、優しく力強くしかも力まない声で歌いたいと思いました。IMG_0441.JPG

今年は、何としても皆様に「シベリウスの響き」をお届けしようと思っております。よろしくお願いいたします。
posted by GUEST at 11:10| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする