セカンドテノールの鎌倉太郎です。
私達WAFNAは合唱を愛する人達の集まりですが、様々な音楽を愛する集団でもあります(笑)。
私も当然、合唱・クラシック音楽を愛好する一人でありますが、それと同時に『昭和歌謡』をこよなく愛する男であります。
先ごろ、昭和をその美しい歌声で彩った島倉千代子さんがお亡くなりになりました。
島倉さんのデビュー曲は昭和30年『この世の花』<西条八十:作詩/万条目正:作曲>。
今年は戦前から活躍されていた唯一の歌手、田端義夫さんもお亡くなりになりました。平成に入りはや25年、正に『昭和は遠くなりにけり』ですね。
『東京だよおっ母さん』『りんどう峠』『からたち日記』等々、島倉さんの歌唱による名曲は数多くありますが、私が一番好きなのは月並みですが、昭和62年『人生いろいろ』です。
昭和歌謡愛好者の中には、いわば島倉さんの後期のヒット曲であり、テレビの露出度の高い『人生いろいろ』をあまり評価しないむきもございますが、私はそうは思いません。
この『人生いろいろ』の世界観を島倉千代子さんほど素晴らしく表現できる歌手を私は知りません。
ねぇおかしいでしょ 若いころ
ねぇ滑稽でしょ 若いころ
笑いばなしに 涙がいっぱい
涙のなかに 若さがいっぱい
私はこの歌詩を落涙せずに歌うことが出来ません。
島倉千代子さんが深く尊敬されていた歌手の一人に東海林太郎さんがいます。
東海林太郎さんは、明治31年(1898年)生まれで、正に『人生いろいろ』を自で生きた方だと思います。
クラシック音楽を志すも一時断念、然し声楽家の夢を忘れられず、人生いろいろあった後に、
『レナートの詠唱』(仮面舞踏会)を歌い音楽コンクールで入賞し、晴れて声楽家の仲間入りができると思ったら、またここでも人生いろいろあり、昭和9年『赤城の子守唄』でデビューしました。複雑な心境だったと思います。
そんな東海林太郎さんの昭和12年のヒット曲『すみだ川』を島倉千代子さんと一緒に歌った貴重な映像があります。
島倉さんはこの『すみだ川』はじめ東海林太郎さんのヒット曲をステージで数多く歌っていたそうです。
東海林さんも島倉さんの歌の解釈を大変褒めていたそうです。
ただある時『今日のお千代さんの歌い方、私は好きではありません』といような事を言われ、島倉さんは思い当たるふしがあったので『はっ』とし、そのことを以来忘れずに歌い続けているとのエピソードを、20年以上前に週刊誌で読んだ記憶があります。
文化とはこのように先輩から後輩に繋がっていくものだと思います。
私も常に謙虚に、真面目に、歌を歌い続けていきたいと島倉千代子さんがお亡くなりになりあらためて思いました。
ご冥福をお祈り申し上げます。
ますますWAFNAが好きになりました。
読んでいただいて本当に嬉しいです。
WAFNA はこれからも意欲的に活動して参ります。また、私も『生きる事は歌う事』を己の寄って立つところの信念としてこれからも歌って参ります。
今後とも御贔屓のほど宜しくお願い申し上げますm(__)m
集客委員の力も、かなり発揮されたのでしょうね。
歌をやっている人皆に、やっていない人にも、すべての人に呼びかけたい
演奏会でしたよ!
私も、合唱もピアノも、小唄も三味線もやりますが、昭和歌謡が好きです。
島倉千代子は、『愛のさざ波』(タイトル合ってるかしら?)が、好きでした。
『すみだ川』は、なぜか好きで、子供の頃から歌っていました。
お読みくださり有難うございました。
『愛のさざなみ』タイトル合ってます(ひらがなです)(笑)
昭和歌謡がお好きとの事、嬉しいです!
私の心の中で合唱も昭和歌謡も垣根は有りません。どんな分野の曲にも良いものもそうでないものもあるものです。
香り高く格調があり人の心の真を歌う詩・曲を歌い続けて参ります。